高尾山と馬頭観音
 高尾山は智方神社の本殿の向かって右側にある。もとは長沢宮内原、国立病院の南西側にあったものを、五十余年以前に現在地に移転鎮座されたもので、宇迦之御魂命(うがのみたま)を祀る。
この神は食物の神、五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神で各地にある稲荷神社の祭神と同一神である。
 この附近では沼津市金岡地区熊堂の、高尾山穂見神社は有名で、毎年十一月末に行なわれる祭典には参拝客が頗る(すこぶる)多く、夜半を通じて祭りが行われる。
 長沢の高尾山穂見神社も、宮内原にあった頃は、毎年三月十五日が祭典で、近くにある競馬場では、
近郷、近在の農馬が集まり、盛大な競馬が行われた。長沢の各農家ではご馳走を作り、むしろを用意して、親類・縁者を招待して、盛大な祭りが行われた。尚その後青年団のスポーツ大会等も行われた。
 高尾山穂見神社の旧境内の近くには、競馬の農馬にちなんでか馬頭観音があった。馬頭観音は、もともと婆羅門教の毘紐奴(びしゅぬ)の化身から転化し、馬が牧草を食うように、諸種の悪を食いつくしてくれる明王だという。頭上に馬頭をつけているところから、馬の安全・息災を願う庶民の信仰と結びつき、広く祀られるようになった。
 近世以前、農民たちは、農耕に馬を使用するなど思いもよらないことだった。まして交通・運輸に使うなどは支配者のためであった。それが近世になって、商品の流通、経済の発展は馬の需要を増し、農民も馬を持つようになった。江戸中期より、馬頭観音が各地に造立(ぞうりゅう)されたのは、農民も馬を持てるようになったことを示すものである。
 そして各地に馬頭観音の造立が見られるようになった。馬頭観音は、愛馬が死んだ時の供養に建てたものだろうが、記念碑として、愛馬の無病息災を祈ったものでもある。
「清水町のむかしばなし」(清水町教育委員会発行)から転載する。